「シロウ、ごはんは〜?」
こんな風に起こされるのは久しぶりだった。
意識的にも肉体的にも未だ、機能しようとしてくれない。
いや、寝るという行為をやめようとしてくれないのだ。
「シロウ〜ご〜は〜ん〜」
そう言いながら俺の布団にボディープレスをかますイリヤ。
「ん〜悪い、今起きるからちょっと退いてくれないか?これじゃ身動きがとれないよ?」
「えへへ〜やだ〜!早く起きないシロウが悪いんだから、少しは反省しなさい!」
「んじゃ、もう少し寝よう…。お休み、イリア…」
意識を睡眠に導く。その名のとおり急速潜行だ。
「わ、やだ、ちょっとシロウ!?おきてよ〜!」

聖杯戦争から早一ヶ月が過ぎようとしていた。
世間では卒業だの入学だの忙しい時期かも知れないが、高校2年で来年度から3年の俺には
最後の穏やかな時期だ。3年になるのは正直ぞっとしない。俺の周りには真面目な奴等が多すぎる
と思う。生徒会長に学年主席。全くもって恐ろしい面子だ。受験に失敗したらそれこそ坊主になるか
徒弟になるかだ。将来くらいは自分で決めたい物だ。
だからあえて「最後」なんて重い言葉を付け加える。穏やかな日和はこれから先に存在するかは
見当がつかない。

「藤ねえはどうした、イリヤ?」
「タイガは置いてきた。なんて言ったら言いか…とても幸せそうな寝顔で寝てるんだもん。
あれは夢の中でシロウの料理を食べてたんだわ。それで本人が幸せならいいんじゃない?」
こりゃ後が怖いぞ…なんて思いながら卵を溶く。起きるのが少し遅かったのであんまり手の込んだ
朝食は用意できない。比較的簡単な卵料理で妥協することにした。
料理の様子をイリヤはニコニコしながら眺めているらしい。フライ返しを使わず、手のスナップだけで
フライパンの中身をひっくり返す。
「すごーい!」
少し自慢げだった。
適当に「適度」な朝食を作り終わって一息ついていると丁度藤ねえが到着した。
「イリヤちゃん!何で起こしてくれなかったの!?これじゃぁ時間が無いじゃない!
あ、士郎!ご飯早く盛って!?遅刻しちゃうから!」
「タイガがいけないんだからね?私はちゃんと起こしたんだから!」
「はいよ、藤ねえ。きちんと噛んで食べないと喉に詰まるからな?」
「二人して一緒に喋んないでよ!?」
一気に事を済まそうとしている人間に言われたくないが…それは心の中にしまっておく。
ちなみに桜はここ一ヶ月くらいは朝は来れないらしい。
まあ、慎二が行方不明になったりで家が大変なんだろうけど。
行方不明か…事の次第を知っている自分としては黙っていて良いのだろうかといつも思う。
何度もその事を遠坂に相談するのだが決まって返事は、
「間桐の家も魔術師の家系なんだし、きっと知っているわ?貴方はあまり気にしないことね?」
こんなだ。それを俺が公表してもややこしくなるだけだから、何も言わない方がいいらしい。
…解っているのだが、桜には悪いことをしているようでならなかった。

そうこう考えている間に藤ねえの猛攻は終わっていた。
朝食の半分は持っていかれた。半々で分けるとしてイリヤの分は事足りるが自分の分にしては少々
心もとない。時間もあまり無いので妥協することにするが…
まぁ、自分が起きるのが遅かったのも一理あるのだが。
「じゃ、行くからね?士郎はちゃんと学校にくるのよ?」
「はいはい、藤ねえも気をつけてな?」
「行ってらっしゃい、タイガ。」
「いってきまーす!」
小学生か?とか思うくらいの勢いで玄関から去っていく藤ねえ。どうやら俺の忠告は全無視らしい。
車にぶつかっても藤ねえが賠償請求されるような勢いだった。
頼むから他の人に迷惑をかけないように…

二人で朝食を採る。騒がしいとはいえ一人減っただけで閑散とする食卓。
これがもう少し経てば、もう少しは活気がでるんだろうがな…。
欠員の多い現状ではもはや、いつもの朝食風景ではなかった。
「イリヤ、二人だとご飯食べるのもつまらないか?」
なんて聞いてみる。いや?つまらないのは俺なんだろうけれど。
「そんなことないよ、シロウが居るだけで私は十分だから!」
そうか、と頷く。イリヤの言葉には嘘が無いことが解った。
少し安心した。俺は平気だということがわかった。

今朝、俺は彼女の夢を見た。どうやら今朝の寝坊は意識的な物だったのだろう。
ここ一ヶ月半。いろんなことがあって、自分では整理を付けられたのかいまいちピンとこない。
隙があれば彼女のことが脳裏に浮かぶ。そして自分という物に穴が開いたとも思える。
それは彼女なのか鞘なのか。どっちって言うわけでもない。結局のところは両方消えたのだ。
俺と彼女を繋ぐ物は記憶、それだけだということも知っている。
この手に取り戻すことは不可能だ。俺は本の主人公を愛してしまった、といっても過言では
無いだろう。ましてや彼女は何処まで本当だかわからない、存在すらしていたのかさえわからない。
人のこう有りたいという願望が作ったモノかもしれない。最早本なんて次元じゃなかった。
ただ、問題なのは、彼女は確かに存在し、確かに存在した彼女を愛したことだった。

「シロウ?どうしたの?ぼーとして…。」
行儀良く湯飲みを両手で持ってお茶を飲んでいたイリヤが、そんなことを言った。
「ああ、ごめん。そんなにぼーっとしてたのかな?」
「ええ、心、此処にあらず、って感じ。」
「そうか…。ごめん、イリヤ。少し考えことをしてたから。」
「そっか…。」
それで、会話は終わってしまう。
努めて、周りに平静を装っているが、気を抜くと彼女のことを考えてしまう。
最近は、考える時間を与えまい、と、バイトに、修練に明け暮れている。
体を壊さないかとイリヤや桜に心配されるが、師であるところの遠坂曰く、
それでいいらしい。
そこが、「俺らしい」なんて遠坂は言っていた。
いや、別に「俺らしく」は全然ないと思うのだが…
「シロウ。今日は、アルバイト?」
不意に、イリヤがそんなことを聞いてきた。
「え?ああ、そうだな。今日もバイトだ。だけど、どうした?」
「ん?ん〜…どうしたってほどの事でもないんだけど…」
なにやら、はっきりしない。
「どうかしたのか、イリヤ?」
「ん〜…その。最近、お出かけしてないでしょ、シロウ?」
「ん?いや、学校には行ってるし、バイト先にだって行ってる。あと遠坂の家か?勉強をしに。」
「そうじゃなくって!もう、ハッキリいうと、シロウは遊んでないって言ってるの!」
「いや、イリヤ?遊んでないって…」
正直、今はそんなことはしたくないし、できない。
「人生、息抜きはどうしても必要なものなのよ?そんな風に生き急いでいたら、詰まっちゃって
早死にしちゃうんだからっ…!」
「でもな、イリヤ…」
仕方ないって言おうとも思ったが、それを止めた。
分かってはいる。確かにそんなことをしていてもしようがない。いや、どっちにもならない。
時間は平等なのだ。どんな風に使っていたとしても、結局は同じ時間。
「イリヤの言いたいことは良く分かるよ。確かに最近は張り詰めすぎなのかもしれない…」
それは、否定とでも、肯定とでも取れる返事だったが、イリヤにはそれで十分だったらしい。
その言葉を聞いて、イリヤは大きく頷いた。
「そうだな、息抜きも必要だな。ありがとう、イリヤ。」
まったく、年下に説教されるなんて、やっぱり、どうかしているんだな、俺は。
「それで、何かあるのか、今日は…?」
「最近、遊んでないのよ、シロウは、私と。この意味、分かる?」
「いえ、全く…。」
「もう、…まぁいいか。今日じゃなくていいけど、今度私と遊びに行こうよ、シロウ。」
…え?どういうことだ?
「え?イリヤ…?どういう?」
「私が、シロウの息抜きに付き合ってあげるって言ってるの!」
察しなさい、って言ってズビシッ!と指で指す。
…どうやら、イリヤは本気らしい。こうなったらてこでも動かないのが魔術師か。
「わかった。本当に済まないな、イリヤ。そうだな…今日のお昼くらいでどうだ?」
「え?今日学校でしょ?それにアルバイトも…。」
「まあね。でも、今日は半ドンでアルバイトは夕方から。」
イリヤはキョトンとして、
「半ドン…?何それ?」
いかにも的外れなことを聞いてきた。丼の類か何か?と問いたげな顔だ。
「半ドン…まぁつまり学校は午前中で終わりだってこと。」
「そうなんだ。」
「本当は遠坂の家に行って、魔術の修練に当てようかと思っていたんだけど、まぁ、今日くらい
なら問題ないだろう。毎日自主学習してるしな?」
そういうと、イリヤは嬉しそうに、
「じゃあ今日だね!思いたったが吉日って言うんでしょ?日本では。」
なんて事を言った。随分、日本語が板についてきたな、などと関心してしまう。
「分かった、今日学校が終わってからだな。どうする?家で待ってるか?」
「それじゃ、出遅れちゃうでしょ?時間が勿体無いから、学校まで迎えに行くわ?」
「了解、わかった。とりあえず、学校終わってからだな…。」
と、不意に時間を見る。
「うあ、一成に頼まれ事されてたんだった!イリヤ、悪いけどもう行くから!」
鞄を手に取り、玄関に急ぐ。全く、これじゃ藤ねぇと変わらないじゃないか。
自分に悪態をつく。
「あ、シロウ、この事はリンやさくら、タイガには内緒ね?」
「なんでさ?」
「何でも!分かった?内緒よ!?。」
なんて、釘を刺された。その意味を解せないまま、学校へと道を急いだ。

「すまん一成、遅れた。」
第一声は謝罪の言葉だった。親友である所の坊主(といっても髪の毛は剃ってない)は
遅れたことに対して、
「珍しいな。」
としか言わなかった。
別に怒ってはいないことは分かるが、しかし、一つ的外れな事を言ってきた。
「最近は言われたことを、何一つ文句も言わずにやってくれていたからな。
少し、妙なところもあったが…何。遅刻くらいするようになったか。ならば少しは安心したな。」
「遅刻して安心するなんて、どうかしたか、一成…?」
「む。確かに…何言ってるんだろうな?…まあいい。とりあえず今日の仕事だが…。」

とりあえず、教材室の使える備品と要らなくなった備品の区別をつけて、要らない方の処分をして、
生徒会室に戻り一息つく。
「すまんな、助かった。全く、使えなくなった物がこんなに多かったとは…不覚であった。」
「ん、確かに。しかし、何でこんなことやってるんだ?」
「ああ、もう少しで今年度も終わるからな。来年に持ち越しても良いのだが、来年は色々と
考えることも多いだろう?面倒な仕事は、やはり、今年度中にやっておくのが良いと踏まえてな?」
そうだな、と相打ちをうつ。
「まぁ、衛宮には悪いと思っているのだが、如何せん手伝ってくれるのはお前だけ出しな…。」
「いいって気にするなよ、一成。これも一年からの縁てことで諦めているからさ?」
「そう言ってもらえると、助かる。」
そう言うと、番茶をすすった。
「そういえば衛宮、このような事を耳にしたのだが…」
そう言うと一成は真っ直ぐこちらを見据えた。
「なんだ?一成?」
「噂だが…最近、遠坂凛と仲が良いらしいが…それは本当か…!?」
急にそんなことを聞いてきた。
「ぐ!あ、いや、そんなことはないぞ?」
「どうした?何故そんなにあわてる?それとも、本当に何かあるのか?あるのか!?」
なんだか、あっちもあわてた様子だ。仕方ないか、一成、遠坂のこと苦手だしな。
深呼吸一つ。
「何、一成。遠坂とは一ヶ月前に知り合ったって話はしただろ?だけど挨拶を交わす程度だ。
それ以上でもそれ以下でもない。どうせ噂好きの連中が俺と遠坂が挨拶しているところを見て
勘違いしただけなんだろ?」
ふむ。と頷いて番茶をすする。どうやらこれで満足したらしい。
内心で胸を撫で下ろす。
まぁ、知り合って一ヶ月にしては、遠坂とは仲が良すぎるのだろう、外野から見れば。
当然だ、死地を共にした仲間なんだから。
しかも、仲がいいというよりは師弟の関係だし。
その「仲がいい」という言葉自体、凌駕していることは当然なのだから。
「そうだな、衛宮がそう言うのであれば平気だろう。すまんな、つまらぬ「もしも話」なんぞ
してしまって…今のは忘れてくれて結構だ。」
「そうか。」
そうこうしている間に、時間が迫ってきていた。
「10分前か、よし衛宮。そろそろ行くとするか。」
そうだな、と二人で生徒会室から教室に向かった。

まぁ、なんの不運なのか…タイミングが悪すぎだった。
「あら、士…衛宮君。おはよう。」
「ああ、遠坂。おはよう。」
このタイミングで、遠坂に会うとは…。
「ちょっと待て、遠坂凛。いつもは俺に食って掛かっていたのに、何故先に衛宮と会話をするんだ?」
あ…。やっちまった。一成にしてみればいつもと違う反応だったみたいだ。
遠坂も、一瞬、しまった、なんて顔をしたが、平静を取り戻して。
「あら、柳洞君、居たの?ごめんなさい、見えなかったわ?」
「な!?」
「今はね?衛宮君に用があるの、貴方は関係ないわ?」
「おい!遠坂…!」
っと、不意に一成から何かが発せられてるのを悟る。
「…どういうことだ…?衛宮…」
「衛宮君?今は邪魔者が居るから、話は休み時間にでも。そうね、屋上で待ってるから。」
遠坂はそんなことを言ってくれる。
…絶対楽しんでるな…遠坂の奴…
それじゃ、と言って嵐は去っていった。
努めて明るく、
「さて、時間がないし、行くか一成?」
見事な愛想笑いは、見事な気迫に相殺された。
力任せに肩を掴まれ、ガクガクと揺らされる。
「どういうことだ、衛宮!?さっきの言葉は嘘か!?」
「あ、いや、別に…、ていうか時間、時間!遅刻するぞ、一成!」
「微塵に構わん、いいから吐け、衛宮!そうか、弱みか?弱みを掴まれたのか、衛宮!!?」
ああ、一成そのとおりだ。きっとこの世の最大級の弱みを掴まれたんだろうさ、衛宮士郎は。
「いいから、一成!生徒会長のお前が遅刻なんてしてみろ、遠坂の株が上がるだけだろ!?
これは俺の問題だし、一成には迷惑はかけられん。しかし、この問題が解決したら、きっと
、力を併せて遠坂凛を倒そうじゃないか…!」
なんて言ってみる。言動による力技。ここは一成と同調したほうが良いという判断からだ。
「む、済まない衛宮、取り乱してしまった。そうか衛宮も何かと大変だったのだな。
分かった、その言葉、信じよう。約束の時が来たら、この学園生活の平安ため、
共に戦おうではないか!」
「わかってくれたか、一成!」
OKだ。全てが上手くいった…!
「そうね、その日を楽しみにしているわ?柳洞君に衛宮君。それから…今日帰ったら、
覚えておくことね、え・み・や・く・ん?」
聞いてらしたのね?凛様。
どっかのミッションスクールのような台詞を心の中で呟いた。
っと、ここも制服だけ見れば立派なミッションスクールだな。
体の中の血の気が全て引いた気がした。
…なんで俺だけこんな危ない橋を渡らなくっちゃいけないんだろう。
そう思うと泣きたくなってきた。

休み時間。約束どおり、屋上に来た。いや、来るしか無かった。
「誰を倒すって?」
「あれは言葉の綾だ。しかし、遠坂らしく無いニヤミスだぞ、あれは…」
「それは貴方が心ぱ…」
と言いかけてそっぽを向く。どういうことだかいまいち分からなかった。
「…それで?倒すって?私を?」
「怒るなって…」
そう言って、遠坂の隣で校庭を眺める。
「なぁ、遠坂…。学校で話すのは控えたほうが良くないか?今日も一成に言われたんだが、
最近俺と遠坂は、仲が良いらしいぞ?」
「何で?別に良いじゃない?弟子なんだし。」
と見当違いな答えが返ってきた。
「そうじゃなくって…ん〜分からないかな…?遠坂ってさ、この学校じゃ人気があるだろう?」
「人気?…そうなの?そんなこと考えたこと無かったわ?私はただ、普通に振舞ってるんだけど。
その点、人気なら桜の方が上なんじゃないの?私と違って奥ゆかしいじゃない?」
そうか、遠坂はああゆうのが同性としての憧れなのかと思った。が、
「とにかく、遠坂は人気があるんだ、優等生だし…見てくれも良いし。」
「あら、衛宮君はそう思っていたの?」
顔が上気するのが分かるが、あくまで冷静に。
「ああ、本性を知るまでは、ね。」
「そう?」
ふ〜んって顔でこっちを見る。確かに見てくれだけは、な?
「でな?」
「ふんふん?」
「…なんだ?遠坂…?」
「なんでも〜?ふふふ?」
何かと上機嫌のようだが。
「そんな人気のある遠坂と、この学校じゃいまいちパッとしない衛宮士郎の組み合わせ。見る奴から
見れば不自然だろう?しかも、ちゃんと話すようになって一ヶ月程度なんだぞ?俺ら。」
「貴方、そんなこと言ってるけど、学校じゃ知らない人居ないんじゃないかしら?生徒会長といつも
一緒に居るし、藤村先生とも仲が良いし。つまり、パッとしないわけは無いはずよ?」
ん?やっぱりなんか論点がずれている。
「だ〜か〜ら〜、いいか?今まで遠坂は男とはあんまりつるんで無かっただろう?それが
急に男とつるみ始めた。この学校でお前が入学してからの一大スキャンダルだって言うこと!
分かったか!?」
「ああ、そういうこと、士郎と私が付き合っているように見えるって事、ね?
ふうん、そんなこと気にしてるの、貴方。」
「いやさ、誤解だろそれって。ていうかお前と付き合ってるなんて思われたら、一成以外の全校生男子に
殺されかねない。」
命の危機だと遠坂に告げる。
「ふうん、そう。ならみんなの前で士郎に抱きついちゃおうかな〜。」
「今の話、ちゃんと聞いてた…?」
「で?誰を倒すって…?」
「申し訳ありません、遠坂様。」
「よろしい。」
むぅ、言わなきゃ良かったか?また一つ弱みを握られたらしかった。
「でもま、いいじゃない?私はいつもどうりよ?言いたいことはきっぱり言うのが私なんだから。
だからいつもどおり。」
結局は解決してないじゃないか。まぁ、三年になったら少しは覚悟が必要だな。
頑張ろう、と心の中でガッツポーズを作る。
「まぁいいや。それで?何か話しがあったんだろう?」
「ああ、そのこと。あれは一成をからかう為。あ〜ゆう風に毎回反応するんだもの。面白いわよね?」
酷え!と言っておくことにする。心の中で…。
「だからって、俺を巻き込むなよ、全く。」
「そうね。でも良いじゃない?弟子なんだし?」
これだから…。
「でも、良かった。士郎、何かあったの?今日は随分元気だから…」
「そうか?いつもどうりにしているつもりなんだが?」
「…あの日以来、貴方は少し塞ぎこんでたの。そんなの少し気にすれば気付くことだわ?」
自分が自覚して無かったなんて、よっぽどの馬鹿ね?なんて言ってきてくれた。
その言葉には悪意は感じられず、すんなりと浸透していった。
「ああ、どうせ遠坂に比べれば馬鹿ですよ、全く。」
「まぁ、少しは心配してたけど、これなら平気そうね?今日の授業はハードにいくから。」
それを聞いて思い出した。
「あ、遠坂、悪い。今日は用事が出来た。」
「え?ああ、生徒会の?それなら別にいいじゃない?雑用好きの一成にやらせておけば。」
遠坂は気にしない限り一成のことも呼び捨てなんだな、と思った。
「あ、違う。今日のは個人的な用件だ。」
そう、と頷く。
「まぁ、しょうがないか…今日くらいなら平気でしょ。どうせ毎日家でも修練してるんでしょうし。」
どうやら深い詮索はしないらしい。ありがたいといえばありがたい。
「それじゃ、宿題ね?」
魔女は所詮、魔女だったようだ。

藤ねぇのホームルームが終わった。遠坂の宿題以外今日は宿題は無いらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。
…さすがにイリヤを待たせるのはまずいか…?
足早に教室を後にする。
すんなりと校舎から抜け、正門の前に行くと目立つものが待ちわびていた。
「おそ〜い、シロウ。」
「ごめん、これでも最短で来たんだけど…。」
「まぁいいわ、それより早く行きましょう。リンやさくらに出会ったら厄介だし。」
「そうか?」
「そうなの!もう…。さ、行くわよ?」
そう言うと俺の手を引っ張って行こうとする。
「分かったから、そんなに引っ張るなよ!」

何気に、イリヤは上機嫌らしかった。新都に出た俺らは先にご飯を食べることにした。
「じゃあ、とりあえず昼飯はどうしようか?」
「え〜とね、川沿いにある喫茶店にしましょ?あそこ行ってみたかったんだ!」
「あ…うん、…そうだな。…そこに行ってみるか。」
「?どうしたの?シロウ?」
一瞬動揺した俺に、イリヤは過敏に反応を返す。
「あ〜いや、ね?あそこ昔も行ったんだけど、どうも勝手がわからなくって、
戸惑った覚えがあるんだよ。…ただ、それだけ。」
ふ〜ん、と相槌を打つ。まぁ、これも本当のことだが、真意は他の所にあった。
…しょうがない、だってあそこは、俺の初めてのデートの場所だったから…。
「あ〜イリヤ?俺、勝手がわからないぞ?それでもいいのなら、いいけど…」
なんて曖昧な返事なんだろう。しかしイリヤは、
「こうゆうのは雰囲気を楽しむ物なの。シロウ、勝手なんて、
そんなのは後から知れば良い事でしょ?」
素晴らしいほどのチャレンジ精神に感服の意を表明した。確かにその通りなのだ。
そんな話を交わしていたら、既にその店の前に着いていた。
いつの間にやら誘導されていたらしい。流石イリヤ、侮れない…
ここまで来てしまったら流石に後には引けない。
「分かった、ここで食べよう。その代わり高いものは無理だからな?」
「シロウ。こんなときの為に、ライガからお小遣い貰ったの。ある程度なら一緒に払えば
問題ないし、だから平気よ?」
「それでもな、男としては面子があるんだよ?イリヤがどんなに大金持ちでも、
年下の、しかも女の子にお金を払わせるなんて、男としては恥ずかしいものなんだ。」
「そう?ん〜…まぁいいや。とにかく入ろうよ。お腹が減って死にそう。」
そういうとイリヤは、クスクスと笑いながら店のドアを開けた。

流石に二度目とはいえ、やはり勝手が分からなかったので、前みたいにランチメニューを選んだ。
イリヤはここのお品書きを見て、あれこれ悩んだようだったが、結局、俺と同じのを選んだ。
食後の紅茶を飲んで、イリヤは上機嫌この上ないって感じだ。
「うん、ここの紅茶は美味しいわ、合格点。また飲みに来ようかしら?」
とか言っている。確かに美味しいが、日本茶派のうちとしては、紅茶の良し悪しを決めるのは難しい。
「ね?シロウ、今度もここでごはん食べよう?」
「ああ。」
と頷いておく。また、俺と来る気満々らしい。
まあ、気に入ったんならそれで良い。今度来る時にはもう少し勝手を覚えておこう。
とか、柄に無く思ってしまう。なんせ今日は、この店ではイリヤにエスコートされっぱなしだ。
「やっぱり、イリヤは良いとこのお嬢さんだな。」
感想をそのまま述べてみる。一瞬キョトンとしたが、笑みを浮かべて、
「それはそうよ、うちは由緒正しい、魔術の家柄よ?礼儀作法とかは徹底されているの。
どこに出しても恥ずかしくない様にね?礼儀をわきまえるって言うことなら、食事も魔術も
似たような物だわ?どちらにも畏敬の念が必要不可欠だもの。」
とかいう。魔術の話云々はして欲しくはないが、上機嫌を崩すのは心もとないので、素直に聞いておく。
「そうなのか?」
「そうね、食事を採ることに関しては。でも料理は別だわ?あれは食事を採ることとは別問題。
畏敬の念は一緒だけど、その行為自体は魔法だわ?こと、料理に関してはシロウのほうが魔法使い
っぽいわよ?」
そう付け加えると、紅茶を飲んでとこちらを見据える。
「ん、ありがとな、イリヤ。そうだな、今度イリヤにも簡単な料理を教えるよ。」
「うん!お願いしますね、師匠。」
そう言うとニッコリと笑う。その仕草が単純に可愛かった。

喫茶店を後にする。
「そうだな…シロウ、肉じゃがを教えてよ!」
また微妙なものを…。
「なんで肉じゃがなんだ?イリヤ。」
「あれ作れるだけで、男の人はメロメロなんでしょ?凄い魔法じゃない!」
喫茶店を出てから、作りたい料理やら、食べてみたい和食やらの話で持ちきりだった。
しかし、何でかこうゆう変な知識まで入っている。
それはそれで面白い。
「さくらは作れるから、ライバルって所ね?負けないんだから!」
味覚的に欧米諸国なイリヤに果たして旨味という感覚があるかないかで、雌雄は簡単に決すると思うのだが。
…まぁ、紅茶の良し悪しが分かる時点で、味覚的に俺に勝ってるのかもな?
「了解イリヤ、今度、肉じゃがの作り方教えてあげるよ。桜にだって俺が教えたんだ。
ハンデは互角だろ?」
「そうね、後は修練ね。あ、シロウ。これから行ってみたいところがあるの。少し辛いかもしれないけど
ついてきて?」
辛い?
などと聞き返したが、イリヤは俺の手を引っ張ってズンズン進んで行く。
そして、例の建物に到着した。

「ここは…。」
唖然とした。このコースは偶然か?彼女とのデートのときと同じものだ。しかも、心に残る場所だ。
あの日色々と回ったのだが、不思議と思い出は断片的なものとしてしか残っていない。
そんな中でもとりわけ心に残る場所ばかり選ばれていた。
「シロウ、早く早く!」
引っ張られるがままに、自動ドアをくぐると、そこは別世界だった。色とりどりの動物が俺達を出迎えた。
ここは、新都にあって新都にあらず。男子禁制(暗黙のルール)。ぬいぐるみデパートだ。
「わー!かわいい〜!」
手を離したイリヤは、その世界へと溶け込んでいった。
うん、やっぱりこうしていれば、年相応の女の子だな。
心底そう思う。こういうイリヤを見るのがうれしかった。
ただ、流石に一人で置いてきぼりを食らうのは御免だ。
気のせいか?周りの視線が痛いような…
全てが「あの日」のとおりのような気がする。
隣を歩く女の子以外は…。

あれこれ、見て回る。
「イリヤはどんな動物が好きなんだ?」
ふと、そんな疑問を投げかける。
「そ〜ね〜、可愛いければ何でも…ん〜しいて言えば犬、かな?大きいの。…狼は嫌いだけどね?」
へぇ、とか相槌をうつ。
犬か…?狼はだめなのか?いまいち分からない。
「何で犬なんだ?イリヤは。」
「犬はご主人に忠実でしょ?だから。猫はあんまり好きじゃないの。気まぐれで、我がままだから。」
とか言ってくれた。
ふむ。近親憎悪ってやつかな?そう思えてならない。
「熊とかは?」
「熊?ん〜ぬいぐるみは可愛いけど、本物は最悪よ?うちは結構山奥にあるから、たまに見るのよ。」
「そっか。他には…ウサギとか…。」
「ん〜ウサギって寂しいと死んじゃうんでしょ?そんなのは私には合わないわ?」
とか。あれこれ話した。
断言する。イリヤは猫が一番似合う。好き嫌い云々じゃないな?遺伝子レヴェルで。
それは心の中に仕舞っておくが…。
一通り店を見て回って。
何か欲しいのあるか?って訊いたら、とてつもなく大きなぬいぐるみを指した。流石にあの大きさで、
値段は「これぬいぐるみかよ!?」って訊きたくなるくらいの値段だった。
物量による世界最強論は、あながち否定できないな。などと思った。

お手頃なサイズと価格のぬいぐるみの入った袋を手に、イリヤは上機嫌だ。
「シロウ、今度はあの大きなぬいぐるみ、買ってね?」
…勘弁してくれ。
そうこうしているうちに、時間が迫っていた。
うちまでイリヤを送ろうと、二人で帰途についた。
帰りは徒歩だった。
橋に差し掛かる。…なんてことだろう。今日はあの日の再来だった。
別の女の子との。
「イリヤ、今日は楽しかったか?」
なんて訊いてみる。
「そうね…ふふふ、楽しかったわ?」
そうか、と頷く。それは、多分、良いことだった。
しかし、ふとイリヤを見ると、今まで上機嫌だった表情が、少し曇っていた。
「シロウに、一つ、謝りたいことがあるの…。」
立ち止まったイリヤはそんなことを言った。

「謝りたいこと…?」
確かにイリヤはそう言った。
何だいったい?うちのお菓子を藤ねぇに黙って食べたことか?
確かに、あの時は俺に罪を着せられて、半殺しにあったような…。
まぁ、そのことに関してはもう既に事なきを得ているのでいいことなんだが…。
「何かあったっけ?」
いまいち解せないまま、イリヤに訊き返す。
「うん…。」
すると、イリヤはとんでもないことを話していた。
「今日のデートコース。シロウにとってはどうだった?」
「え!?」
一瞬、ドキッとした。ナニを言ってるんだ、イリヤは?
分かってはいた、さっきから感じていたことは、偶然ではなく必然だったのだ。
…あの日の再来…
多分、イリヤの言いたいことはそのことだ。
「あ…。」
そんな、情けない声を上げたような気がした。
「…ごめんなさい、シロウ。」
「…なんでさ…?どうしてイリヤが謝るんだ?…なにかあったっけ?」
答えは…口にしたく無かった。
しかし、やはり返ってくる言葉は絶望的だったのだ。
「このコースは、シロウとセイバーのデートコースだったでしょ…?」
「…なんでさ…?」
一息、溜めて、平静を装い。
「ん。正直驚いた。なんでイリヤはそんなこと知っているんだ?」
そう、疑問はそこだった。多分、遠坂にはあの喫茶店のことしか教えて
もらわなかったし、行き先の詳細は、俺とセイバーしか知らないことだった。
それをイリヤは知っていて、今もその、コース上に立っている。
変わったのは日の傾きかたぐらいだった。
「シロウは忘れた?私は…聖杯なの。」
「聖杯…。」
それは知っている。確かにイリヤの体は聖杯の中心に鎮座していた。
こと、モノの構造を読み取るのに長けている衛宮士郎は、そんなことは知っていた。
「サーヴァントは、根源の渦から必要な時、例えば聖杯戦争とかの時に喚起、使用
される。ある者は戦いを有利に導くためにそのサーヴァントに縁の深い物、例えば
バーサーカーはあの斧剣ね?あの斧剣はバーサーカーに縁のある神殿の柱から削って
作られたの。…そしてセイバーはシロウの中にあった鞘。つまり、そういう物を媒介
し呼び出される。でも、呼び出すには根源との孔を開かなくちゃいけない。つまり、
聖杯がここに呼び出されるって言う過程を踏まなきゃいけないの。つまり媒介の
その前提。それが聖杯。そしてその魔法式を作ったのがアインツベルンであり、
聖杯=私。
私の体は根源の渦に繋がっていて、サーヴァントを全て内包することが出来る。
サーヴァントが倒される度、消える度に私の中に還るの。そして一時の情報として、
エネルギーとして、私の中に留まる。
…リンがアーチャーを喚起した理由は良く分かる。
…それはいいとして、今回、聖杯を召還した時に、セイバーはまだ取り込まれて
いなかった。つまり、セイバーのエネルギー、情報はその時に使用されなかった…。」
言ってる意味が良く分からない…。難しい単語の羅列であるそれは、多分、至って
シンプルなことを遠まわしに説明しているんだろう。
「つまり…?」
「うん。聖杯のエネルギーとして使われなかったセイバーの情報は私の中に蓄積された
ままなの…。私の中にセイバーは居て、その情報を引き出して、
…今日のデートを画策したの。」
ごめんなさい、とイリヤは謝った。
…言い知れぬ物があったが、どうしてか…俺は冷静だった。
この感情は、言葉には出来るはずが無い。冷静では無いのかも知れない。
でも、至って冷静なのだ…。
「…彼女は…還ったんじゃないのか…?」
「ううん、勘違いしないで…?彼女は還ったの。でも情報として、私の中には
セイバーの記憶が蓄積されている…。確かにこれは常人じゃありえないから、
言葉の通りにしか説明が出来ないの…。」
そういえば、確かに俺とセイバーしか知り得ないことをイリヤは易々と解いていた。
…全ては遠き理想郷…そのことですら、イリヤは看破していたのだ。
確かに彼女はイリヤなのだが、奥底にはセイバーの面影が過ぎった…。
「本当はこんな騙すような事、したく無かった…。でもやっぱりシロウは最近、無理を
している…。そんなのは見ていられない。だからこうして、お出かけしたの…。」
それは、途中までは確かに、セイバーの言葉だった。様な気がした…。
「そっか、無理、してるように見えたか…。」
しょうがない、なんて言ってみる。
「え…?」
「だって仕様がないじゃないか、アイツは往ってしまったんだ。そのことは変わらないよ。
俺が無理するのも、仕方ないさ。でも…確かにこんなに近くに居たんじゃないか…。」
なんて言って俺はイリヤを抱きしめた。
「あ、シロウ…!」
体は小さかったが、その身体は温かかった。
「ごめんなさい、シロウ…。」
俺は、少し泣いていたのかもしれない…。

ピピピ…。
腕時計が終わりの刻を告げる…。
アルバイトの時間が近いらしい…。
俺は小さな体を離すと、一つ、呼吸を整えた。
反対にイリヤは、まだ体を小さく縮めている。
「イリヤ、ありがとう。」
その言葉にビクッと反応した。
「シロ…ウ…?」
こっちを見上げたセイバーは確かにイリヤだった…。
「御免、変なことしちまったな…?謝る。」
多分、俺の顔は上気しっぱなしだろう。何か無性に照れくさい…。
「ううん…?うん。別に大丈夫。」
顔を真っ赤にして、でも、イリヤは笑顔を見せる。
…正直、凄く可愛い。なんて思った…。うう…不味いな、俺…。
「分かった、無理しないことにする。ありがとう、イリヤ。」
「ふふ…分かればいいのよ、シロウ。これは大きな貸しだからね?」
なんていう。む?それはちょっとずるいと思った。
「イリヤ、今日は俺が奢って上げたろう?だから、チャラだよそれは。」
「え〜!それは無いわよ!だってこっちもお金出す、って言ったら拒否したのはシロウ、
貴方でしょ!?」
ふっ、て吹き出して、それはヘリクツだよって言い返した。
「ず〜る〜い〜!いい!?確かに今日はシロウが私に借りを作ったの!」
そのことは変わらないわ、って付け足した。
これで、いつもどおりだ。そう、いつもどおり。
さっきの感情は当分先送りにしよう、あるいは忘れ…よう。
このまま流されたんじゃ、単に彼女の面影をイリヤに重ねただけになってしまう。
それは、イリヤにもセイバーにも失礼だと思うから。
ふって笑って、イリヤを諭す。
「わかった、しょうがない。今回は一つ貸しな?」
「ええ、このお返しは何が良いかしら?」
「有効的に使ってくれ。」
「うん!」
さてと、時計を見る。流石にそろそろ時間が危うい。
「イリヤ、御免。本当は家まで送って行きたいのだけど、バイトの時間が…。」
「そうね、本当は最後までエスコートするものよ、シロウ?でも今日はしょうがないか。
ここでいいわ?」
なんて大人ぶってるイリヤは、見てて面白い。
「ごめんな、イリヤ。今回の埋め合わせは必ず…。」
そういうと新都方向に戻る。
「気を付けてね〜!」
「ああ、そっちも!」
そういうと、俺達は分かれた。
奇しくも分かれた場所まで、あの日と同じだった。
違うのは一時の決別ではなくって、お互いの無事を祈って…。

…なにが不味かったのか、バイトを終えて帰った時には三人の鬼が玄関で仁王立ちしていた。
鬼が仁王とはこれ如何に…?
今日のことはイリヤによって筒抜けとなっており、偶然(?)居合わせた遠坂にすら
そのことは知れ渡っていた。
確かにセイバー云々は伏せられていたものの、最後に抱きしめてしまったことすら、話して
しまっていたようであった。
至って上機嫌なイリヤ。
対して、
(遠坂+桜+藤ねぇ)×怒り=この世からの遮断。
ここ、二〜三日は地獄がまっている…。
正直、イリヤを呪いたかったが、彼女には悪意は無い。
今日、してしまった行為を恨むしかないのか…。

深夜、道場に衛宮四郎の悲鳴が響き渡った…。

END